
どーも。堀内です。
人が成長する過程で、大事だと思っていることがあります。 「責任のある何かを任せられること」 子供の頃からこの積み重ねなんじゃないかと思います。
自分は小さい頃に祖父の家で店番をやっていたことがあります。祖父やおばや従業員の方が忙しなく働いている中で、配達や出荷のようなことをするときに、「店番だけやってくれる人がいるのは助かる」と言われたことからです。
まぁ30年も前のことなので、記憶も怪しいですし、ルールも無茶苦茶ですが。
夏休みに小学校のプールを終えて店番の手伝いに行くのがルーチンになっていた時期がありました。 1-2時間、大人たちが店を空けてもいい状態ができると、すごく楽になると言われた気がします。
大体午前中からお昼すぎくらいで、そこに来るお客さんは大体常連さんです。
「おじいちゃん/おばさんに用があるんだよ〜」みたいな人には、お茶を出して待っててもらったり、帰ってきたら電話するから名前と電話番号を教えてもらったり、普通に買って帰ってもらったりしていました。
自分が店番をやっていたから利益が出たということはまったくないと思います。「店番やろうか?」と自分が言ったのがきっかけだったと思いますが、今思えば貴重な体験でした。小学校の宿題はそこですべてやってしまったのも覚えています。
ご褒美は三ツ矢サイダーか牛乳を飲んで良いのと、たまに500円(下手したら週給)もらってました。
自分の名前の書いたタイムカードも作ってくれました。どんなに働いてもマックス500円(笑)でしたが、小学生の自分には大金でした。
お金がほしいわけではなくて、店番をやることで、誰かの役に立っていることが楽しかったと思いますし、最初はただ座っているだけでいいから、だったのが、仕入れの手伝いや掃除などもやらせてくれました。もう30年も前の話なので、そこに関わってくれていた方々は天国にいるんですが、今でもその記憶が残っています。
「自分がなにか役に立てることがありますか?」というのが、根本にあるんだと思います。
こちらの記事でも人に任せることについて触れています。是非お読みください。
今の私は、何かを任せる側で、教える側で、依頼する側です。今思えば、小学生が何かミスをするかもしれない中で、とても丁寧に教えてくれましたし、多くのことをやらせてもらいました。夏休みの間の来れる日しか来ないたった数日の労力を覚えてもらっても、大した戦力にはならなかったと思います。でもその体験はとても嬉しかったですし、いまでも人のチャレンジを応援しているのはその体験からかもしれません。
任せる側は任せる勇気が必要だと思っています。失敗してもカバーしてあげられる余裕がなければいけないですし、その予測も必要です。失敗しても責任は自分が取るから頑張って!という姿勢が自分の中では一番大事です。
失敗したときに「なんでできないんだ」みたいに問い詰めるのは完全にNGです。
プロセスを見て、その中で何を改善しないといけないか、を正しく伝えたいです。厳しく伝えるケースもゼロではないと思いますが、あくまでも緩急の一つの手段ということを認識する必要があります。
任される側は、任せてもらう努力が必要です。こういう事ができるようになりました。これなら自分でもできます!こういうことをしたいです。といったアクションが必要です。
任されることはチャンスと同じで、チャンスは掴まないと逃げていってしまいます。言い換えれば他の人に任されてしまいます。
「チャンスの神様は前髪しかない」って聞いたことがありますか?チャンスが来たらタイミングよく掴まないと逃してしまうということの比喩ですが、チャンスの神様を呼び込む努力も必要だなと思っています。
静かに黙々と作業をしている人のところにはチャンスの神様すら来てもらえません。呼び込むための努力と、その発信が必要なんだと思います。
隠れて努力をしていることもかっこいいと思います。が、隠さずにやる努力のほうがかっこいいです。自分からも周囲からも見られながら成果を出さないといけませんし、不言実行よりも有言実行です。やるといったからにはやる、につながってきますね。
任せる側の勇気に答えるほどの努力の積み重ねを行って、チャンスを掴んで下さい。
ではまた。
2025.04.11 堀内文雄(家での最初の仕事は「箸を並べる」だった気がします)